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ノルウェイの森 (村上春樹)


Title: ノルウェイの森(上)(下) (講談社文庫)
Author: 村上春樹
Category: 文芸
Story: 上京して寮に入り大学生となったワタナベは、自殺した親友の彼女、直子に再会する。二人はしばらく、毎週日曜日に東京の街をなにをいうこともなくあるくことになった。

Comment: いまさらですが、「ノルウェイの森」を読みました。村上春樹氏の作品は数日前に短編は読みましたが、長編は海辺のカフカ以来約一年ぶりです。この本が出たときには年末本屋がハードカバーの上下巻の赤と緑で、それは目立っていたものです。

以前も書きましたが氏の作品はたまに、氏特有の不条理世界(別に実際に不条理というのではなくて、不思議なものが色々登場する世界)がいきなりはじまってとっつくのにかかることがあるのですが、今回はすんなり入り込めました。氏の作品はエッセイに関しては文庫化したものはほぼ読んだものの、長編はまだ手をつけているものが少ないです。しかし面白いのは、この本のそこここにエッセイにあった氏の体験がデフォルメされずにちりばめられていて、不思議な既視感があります。その行動や感覚、感傷は主人公のワタナベはもちろん、さまざまな登場人物に投影されていました。

で、このストーリーでは行き着くところに必ず死があります。自殺するもの、悲惨な病で死ぬもの。まさに「生の一部としての死」「死の一部としての生」として描かれています。主人公は亡き親友の恋人直子とは恋人の様な保護者のような関係になり、ある種不健全なあこがれを抱いていて、大学の友人緑とは友人でやはりある種保護者のような関係になり、(彼女はある種現実社会を具現するものでもある)、恋する様になる。この2人の対照的なありかたが、いろいろなものを表現しているのだが、個人的には緑さんの方がもう少し魅力的であったらいいなと思いました。もちろんそれは直子さんの方の圧倒的な存在感によるものなのでしょうが、ある種健康的な存在である緑さんはもっと元気でいて欲しかった。しかし、この直子さんへのあこがれ、つまりこうやって読んでみても直子さんの方が魅力的に見えてしまう感覚は、とても哀しい。その存在はとても必死でとてもせつない。
★★★★★

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» 「ノルウェイの森」―赤と緑の物語(その1) 送信元 BUNGAKU@モダン日本
 1987年9月10日に刊行された村上春樹の『ノルウェイの森』は,上巻が「赤」で下巻が「緑」という,目にも鮮やかな色彩で装幀されています。(私のデジカメではどう... [詳しくはこちら]

コメント (2)

直子も緑もレイコさんも,この小説に出てくる女性はみんな切ないですよね。

konama:

NJさま

はじめまして。
TBもありがとうございます。

そうですね、この本を読んでから大分たちますが、二人のヒロインは今でも頭に残っています。

赤と緑の話はコメントで書かれていた方もいらっしゃいますが、「そうだ、村上さんに聞いてみよう」に村上氏の答えがあります。でも確か例によって「そうでなくてはならなかった」みたいな感覚的な説明だったような気がします(今手元にないのでまったくのうるおぼえですが)。

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2004年01月13日 21:12に投稿されたエントリーのページです。

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